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広島高等裁判所 昭和44年(行コ)2号 判決

広島市三篠町二丁目一九番一三号

控訴人

篠田功

右訴訟代理人弁護士

樋口芳包

秋山光明

広島市加古町九番一号

被控訴人

広島西税務署長

土崎倫

右指定代理人検事

平山勝信

法務事務官 小瀬稔

大蔵事務官 吉富正輝

同 田原広

同 常本一三

同 広光喜久蔵

右当事者間の所得税等の更正及び加算税の賦課決定取消請求控訴事件について、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取り消す。被控訴人が控訴人に対し、昭和三六年一二月二七日付をもつてなした、(1)昭和三三年分所得税の更正処分につき、更正所得金額二一、四五二、五七〇円のうち、金六、四三五、七七一円を超える部分及び重加算税賦課決定のうち右超過金額に対応する重加算税額の部分、(2)昭和三四年分所得税の更正処分中、営業所得更正額金一七、六一六、五四二円のうち金五、二八四、九六三円を超える部分及び重加算税賦課決定のうち右超過金額に対応する重加算税額の部分を、いずれも取り消す。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の主張及び証拠関係は、次の点を付加するほか、原判決の事実摘示と同一であるから、これを引用する。

控訴代理人は、当審証人池上猛夫の証言、当審における控訴人本人の供述を援用し、後記乙各号証の成立をいずれも認めると述べ、被控訴代理人は乙第一七ないし第二八号証、第二九号証の一、二を提出した。

理由

一、控訴人主張の請求原因一及び二の事実は、当事者間に争いがない。

二、本件事業による当該年度の営業所得の全体額が本件更正処分における更正金額のとおりであることは争いがないところ、控訴人は、右事業は控訴人の単独事業ではなく、控訴人を含む兄弟姉妹四人の共同事業であるから、右更正金額のうち控訴人の利益配分割合に対応する金額のみが控訴人の所得金額であると主張するので、この点について判断する。

成立に争いのない甲第一ないし第四号証、原本の存在及び成立に争いのない甲第五号証、成立に争いのない乙第一ないし第三号証、第六ないし第二八号証、第二九号証の一、二、原審証人元岡正嘉の証言、原審証人篠田恵介、同篠田照子、同篠田弘子の各証言(いずれも一部)、当審証人池上猛夫の証言、原審及び当審における控訴人本人の供述(一部)並びに本件弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

(1)  控訴人(昭和三年九月生)は、昭和一九年に父を、昭和二〇年に原爆で母を失い、実姉の篠田照子、篠田清子と共に父の遺した広島市南千田町の家屋に居住し、控訴人は土建業を営む叔父の所で働き、照子や清子は洋裁をするなどして、生計を立てて来た。昭和二六年頃から控訴人は照子及び清子の協力の下に右自宅でクリーニング業を営むようになつたが、その開業資金は控訴人ら三名の貯金をこれに充て、照子らが洋裁に使用していた道具を使用するなどして最小限の設備用具で開業した。昭和二八年頃、東京でクリーニング店に勤めていた弟の篠田恵介が広島に帰つて協力するようになり、その際同人も若干の貯金を営業資金として拠出した。その後次第に業態が整つて来たが、控訴人と恵介は仕事のかたわらクリーニング用機械の研究に力を注ぎ、その考案に成功した。そこで昭和三〇年頃からクリーニング業を止め、それまでの右営業による貯えを投入して、前記自宅を工場とし、「日本プレス製作所」の商号の下にクリーニング用機械の製造販売業を始めた。この営業は順調に発展し、昭和三一年暮には広島市吉島本町四〇九番地に買い入れた約一五〇坪の土地に約五〇坪の工場を建てて日本プレス製作所の事業所とし、その頃には約一〇名の従業員を使用するようになつた。そして昭和三二年一一月頃東京都墨田区大平町に店舗を借り受けて東京営業所を設け、恵介が所長となり、商品の受注やアフターサービス等に当つたが、昭和三四年七月頃同区錦糸町に三九坪の土地を買い入れ、そこに事務所を建築して東京営業所を移した。また、広島市においても昭和三三年八月頃吉島本町九〇一番地の七に土地約四三〇坪を買い入れ、昭和三四年暮に工場を、次いで事務所を建築して、日本プレス製作所の事業所をそこに移転したが、その頃には従業員は約五〇名となつた。その移転と前後して、従来の個人営業を株式会社組織とすることとなり、昭和三四年一二月初め頃株式会社日本プレス製作所を設立し、控訴人がその代表取締役となつた。

(2)  前記のクリーニング業、次いで機械製造販売業(会社設立前)の各期間を通じて、控訴人はその事業の主宰者としての役割を担つて来た。銀行取引等の対外的取引や納税、社会保険等の官庁関係において、事業主体を個人名で表示する場合には、控訴人の氏名を使用した。内部的にも、控訴人は経理を含む業務全般を統率掌握し、営業利益は、控訴人が自己の名義や架空人名義で預金するなどしてこれを管理し、その利益で取得した前記の各土地建物も、東京にあるものを恵介の名義としたほかは、いずれも控訴人の所有名義とした。

他方、姉の照子及び清子は、クリーニング業当時、洋裁や家事のかたわら、洗濯物の修理や客との応待等の仕事を受け持ち、機械製造販売業に変わつてからも、住込従業員の食事の世話、受注関係の事務、機械の布製部品を作る作業等に従事して、控訴人に協力したが、当初の控訴人や恵介と同一世帯をなしていた当時はもとより、その後、恵介が東京へ行き、控訴人が昭和三三年五月に結婚して世帯を別にするようになってからも、定期に一定の給料を受けることはなく、営業の売上の中から随時に所要の生活費や小遣等を受け取つていた。また、恵介は、中途から参加したものであるが、従前クリーニング店に勤務していた時の経験を生かして、クリーニング業務の実施、クリーニング用機械の考案、その製造の技術面等について、大いに控訴人に協力し、昭和三二年一一月頃東京営業所が設けられた後は、その所長として、東京方面における商品の受注やアフターサービス等に当つたが、広島在住の控訴人とつねに連絡をとり、控訴人の統率指示の下にそれらの業務を遂行した。恵介の場合も、定期に一定の給料を受けることはなく、東京営業所に移つた後はその売上の中から控訴人の了解の下で随時に所要の生活費等を得ていた。

(3)  控訴人と照子、清子、恵介との間に、営業利益の分配についての約定は存せず、実際にも、右四名の生活費等に費消されたもののほか、営業利益の大部分が前記土地建物の取得その他事業の整備拡張のために投下蓄積され、右四名の間で利益が分配されたことはなかつた。なお、本件所得につき国税局が所得税法違反の嫌疑により査察を開始した後である昭和三六年八月に、控訴人ら四名で話し合つた結果、利益配分の割合を、控訴人と恵介が各三割、照子二割五分、清子一割五分と定めた事実はあるが、具体的にどのような方法態様により分配を行なおうとするのか明らかでなく、右約定による分配が実行された形跡もない。

(4)  係争の昭和三三年及び三四年の事業上の所得についての所得税確定申告においては、控訴人が自己を事業主とし、清子、恵介を使用人とし、照子を控訴人の扶養親族として申告しており、清子、照子、恵介が自己を共同事業主としてその所得について申告をした事実はない。控訴人の右申告は、同人の依頼により税理士池上猛夫がその手続をしたものであるが、その際同税理士は控訴人の説明により申告書類を作成し、税務署に提出する前にこれを控訴人に示して承認を受けている。

以上認定の事実を総合考慮すると、本件事業の遂行につき恵介、照子、清子の協力寄与のあつたことは否定しえないところであるが、これら三名が控訴人と共に共同の事業者であつたと認めるには足りず、本件事業は控訴人の単独事業であり、右事業による所得は全部控訴人に帰属したものと認めるのが相当であつて、これに反する控訴人の前記主張は採用することができない。

三、してみると、本件事業による所得が全部控訴人に帰属したものとしてなされた本件各更正処分等には、控訴人の主張するような違法は存しないので、その取消を求める控訴人の本訴請求は失当として棄却すべきである。

よつて、右と同趣旨の原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないから、民訴法三八四条に従いこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき同法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松本冬樹 裁判官 浜田治 裁判官 村岡二郎)

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